慶應義塾高校の優勝について
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皆さんこんにちは。
2023年8月23日に第105回 全国高校野球選手権大会の決勝戦が行われました。
前年王者の宮城県代表『仙台育英高校』に対し103年ぶりに決勝進出した神奈川県代表『慶應義塾高校』の一戦は 2 - 8 で慶應義塾高校が仙台育英高校を破り107年ぶりに全国制覇を果たしました。
戦った両校の選手に拍手を送りたいと思います。
話は変わって、X(旧Twitter)やThreadsでも話題になっていたのが慶應義塾高校の選手が丸坊主ではない(長髪OKと記載している記事もありますが、メンバーを見る限りは短髪の部類)ことについて多くの方が話題にされていました。
話題にすることには何ら問題は無いのですが、今回は行き過ぎた情報発信やそれに伴う情報発信の当事者意識の薄さについてご説明させていただきます。
目次
慶應義塾高校の長髪に対する問題点について
前置き
最初に記載しておかなければいけないのは、私は野球を愛しています。
高校野球が好きで、学生時代は甲子園でバイトしたこともありました。
その上で以下の投稿を読んでいただきたいです。
問題の投稿について
高校球児「全員丸刈り!毎日10時間練習!監督命令は絶対!!」
— 炎の研修医 (@DrHonoh) 2023年8月11日
→予選敗退
慶應高校「髪型は自由!練習は短く!プレースタイルは自由!エンジョイ・ベースボール!」
→甲子園出場
これ痛快すぎる pic.twitter.com/oUKgiCiNYJ
こちらの投稿は、慶應高校の名前を使って他校のやり方を批判したい投稿です。
ですが、慶應高校の選手はこの投稿者の理論の証明のために頑張っているのではありません。
まぎれもなく甲子園大会にまで出場するような学校は、練習の違いや校風に違いはあれど、皆必死に上手くなりたくて練習をしています。
このような他者を批判するために楽をしても勝てるような書き方をしてしまうのは、慶應高校の選手や監督にとっても失礼です。
両校、またすでに負けてしまった高校含め、大人の思惑で高校生を批判するのはあまりに大人気ない行為です。
このような投稿は一例であり、他にも同じような内容の投稿が散見されます。
大人が自身の理論の正しさの証明のために、野球がやりたくてその高校に入って必死に練習して頭を丸めて、それでも負けてしまった選手・生徒を批判することが果たして正しい行動なのでしょうか?
その努力を無駄だと言ってしまう大人は、本当に選手・生徒のためを思って発言をしているのでしょうか?
自身の個人的な思惑で、OBならともかく現役高校生を蔑んで、その発言の責任は誰がとるのでしょうか。
選手の長髪問題が本当に問題になっているのかについて
「長髪はいけない」という書き込みについて
そもそも「長髪はいけない」という書き込みを私は見たことがありません。
「長髪はいけないと思っている老害」という書き込みは山ほど見ます。
考えていただければわかると思うのですが、甲子園出場校で丸坊主でない高校は珍しいかも知れませんが、選手権大会全体(地方大会含)で見ると坊主にしていない学校が数多く出場しているのは想像しやすいと思います。
特に高校野球を長く見ている人なら、理解していただけると思います。
私には「長髪はいけない」と思いこんでいる人が、架空の敵を作り上げて攻撃しているようにしか見えません。
高校野球は「坊主でないといけない」「監督の命令は絶対」「一日中練習させられる」「暑い中強制的に野球をやらされている」それは現代の高校野球をあまり見ていない人の「詳しくないけどそうだろう」「昔はそうだった」という固定観念ではないでしょうか。
(ここではアフィリエイトブログで対立煽りをして楽しんでいる連中のことは無視してください。)
高校球児の丸坊主について
数十年昔の高校野球では強制的に坊主にさせられることがあったのかもしれません。
ですが価値観や娯楽が多様化している現代において、「聞いていた話と違う」となれば大問題になってしまいます。
甲子園大会に出場するような強豪校の多くでは、野球部の活動を見学することは可能ですし、調べればすぐに情報が出てきます。(勿論強豪と呼ばれないような学校でも可能だと思います)
その高校が皆坊主にしているのか、甲子園を目指して熱心に活動をしているのか、どれくらいお金がかかるのかについて、生徒も親も情報を得ることは容易です。
その学校に進学して、甲子園を目指したいのか、楽しく草野球がしたいのか、丸坊主にしたいのか、長髪にしたいのか、生徒が選べる環境が整っています。
勿論、実際に入ってみて「やっぱり辞めたい」となる気持ちはわかりますが、耐えるも辞めるも生徒次第です。
中には甲子園を目指さずにプロ野球を目指す学校もあります。
丸坊主で大変な練習に耐えて野球をやっている多くの高校球児はそれがやりたくてやっているのです。
スポーツにおける精神論について
野球における精神論とは
「精神論」と言われて思いつくものはなんでしょう。
「水を飲むな」でしょうか、「うさぎ跳び」でしょうか、「先輩のしごき」でしょうか。
勿論、現代においてこれらは、過去の非効率的な練習・風習の代表格となっていますし、これを肯定するような人はいないと思います。
ですが、野球において精神論をすべて否定はできません。
『野球は心のスポーツだ』という言葉があるように、体を鍛えているだけでは100%試合には勝てません。(勿論心だけでも勝てません。)
これは間違いなく言える話で、地方予選ではコントロールが良かったのに甲子園のマウンドでは全くストライクが取れなくなるような選手は多く居ます。
プロ野球選手であっても、開幕戦ではガチガチに緊張してしまってボールが走らなくなる、チャンスではバットが振れなくなるということは良くあります。
現代スポーツにおいて、ウェイトトレーニングをして体を鍛える事は重要視されていますが、それと同じくらいメンタルのトレーニングも重要視されているのです。
組織体制の内弁慶体質について
これは会社でもスポーツの協会でもそうですが、内部の人間には強く言えても外部からの批判には弱いという性質があります。
SNSが発達した現代において、やはり不正や隠ぺいというものが一度世に出てしまうともみ消すことは不可能だと思います。
2018年に起きた学生アメフト界における『日大タックル問題』では、当初学校側は「力がないからこのような不正タックルに繋がった」という回答を行ないましたが、その後X(旧Twitter)にてこの問題プレーが拡散し炎上、被害者が当時の監督・コーチを告訴するに至りました。
この件は結果的に不起訴処分となりましたが、現代において、もしSNSが発達していなかったらここまで大事の事件には発展せず、日本大学も当初の回答に留まったように思われます。
このように閉鎖された組織というのは内部に対しては強気な姿勢をとれますが、炎上してしまい組織名に傷が付くまでに発展すると、外からの力で簡単に折れてしまいます。
情報発信の当事者意識の薄さについて
今回の問題点について
上記の通り、現代では簡単に組織批判をすることができるようになりましたし、またそれによって体質の変化が期待できるようになりました。
ですが仮にその批判に問題があった時に、誰が責任をとれるのでしょうか。
問題発言したアカウントを消せば済む話でしょうか?
今回の批判の対象になったのは現役の高校生です。
中には幼少期から野球だけが楽しみで高校球児になった子だっていると思います。
批判的な人の中には丸坊主にされた思い出や強制的に練習させられていた人がいるかもしれません。
それを以ってしても、現役高校生がやりたくてやっている事について、外野がとやかく言うべきではないと私は思います。
殆どの高校生が高校で野球を辞めてしまいます。
大学生や社会人として野球を続ける人間はごく一部です。
その背中を黙って押してあげることが、我々大人が取るべき行動なのではないでしょうか。
トレンドを拡散する危険性について
恐らく、優勝してからも「長髪の慶應が優勝」のような記事は出てきてしまいます。
それは事実ではありますが、一点気を付けていただきたい事として「『長髪で規則も緩い正義』が『頭を丸めて練習量も多い悪』を倒す」と読めるような記事、そのような方向に持っていってしまいかねない報道は、相手が高校生であることをよく考えたうえで報道してほしいなと思います。
また情報を拡散する側も、一度手を止めて考えてほしいなと思うのでした。
さいごに
慶應義塾高校の皆さん107年ぶりの優勝おめでとうございました!
また強かった慶應義塾高校と激闘を演じた仙台育英高校の準優勝も見事でした。
スタンドの応援団や裏方さん、皆さんにあっぱれです。
これからも両校の選手が素晴らしい人生を歩めるよう応援しております。